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「店長物語その21」

 
       
    いつも、このコーナーをご覧いただきましてありがとうございます。好き勝手な事を書いている私の自伝ですが、一部の方に大好評いただいております。本人、自画自賛、自己満足です。特に、私が、「明治大学附属中野高等学校」の卒業生だとお話しましたら、お客様から「私も明大中野だった。」、「私の子供と同じ学校だったのか。」等、お電話いただいたりしました。結構、びっくりしました。この連載を読んでいただいている同窓生の皆様。今の私は、たいしたことないですが、まだまだ人生これからです。頑張ります。よろしくお願いします。 もう少し私の高校時代の話をします。卒業までと進学についての話をします。アルバイトが禁止の所、担任にばれて父親が呼び出されました。たいしたことない気もしますが、私立高校です。いろんな規則がありました。最悪の場合、大学への推薦、進学が決まっているのが取り消しになるんですよ!特に問題なく片付いたので、その後は、卒業、進学です。今は、どうなっているのかわかりませんが、私の頃は、完全無試験でした。学校の成績で決まります。だから大学の入試試験なんか受けていません。私は、成績があまり 良くありませんでした。はっきり言うと悪かったです。その為、二部になりました。夜学です。父親にずいぶん責めれました。「情けない。」と。父親は、その一年半後に亡くなります。私は、父親の期待に答えた事なかったと思います。私は、二部の政治経済学部経済学科に進学しました。二部と言うと苦学生というイメージがあります。そのイメージの方が良いイメージだと思います。私は、親の手前を考えて、父親が亡くなるまで、人に「なんで夜学にしたの?」と聞かれるとこう答えていました。「附属で落ちこぼれちゃった。」と。本当の事ですから。 卒業間際になると教習所に通うのが結構いました。私は、行きませんでした。高校三年生なのに親から車を買ってもらうの何人もいたんですよね!約30年前です。私が知る限り、当時、ベンツやBMW、ポルシェなんかを買ってもらっていたのはいませんでした。でも、新車で、セドリックやマークUクラス。トランザムなんか買ってもらっているのはいました。凄いなーと思いました。別にヒガミはしませんでした。世の中、いろいろです。高校時代、お金持ち、いろいろいるんだといい勉強になりました。子供 時代、いい経験をしたと思います。今の仕事に活きています。臆する事、あまりありませんから。 高校時代、父親の期待には全く答えられずに終わりました。卒業式の後パーティーをやりました。私は、杉並、世田谷方面の友人達と吉祥寺でやりました。しゃぶしゃぶ屋を貸し切りにしてやりました。とても楽しかったです。いい気分で遅く帰宅しました。その日、父親も帰宅していました。私は、「お父さん、期待には全く答えられませんでした。申し訳ありませんでした。でも、いい高校に入れていただきまして、本当にありがとうございました。いい経験をさせていただきました。」と言いました。その時は、父親も嬉しそうでした。 次回もお楽しみに!
 
         

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