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「聚楽台の閉店」

 
       
    いつもこのコーナーをご覧いただきましてありがとうございます。私の好き勝手な事を書いているのですが、ごく一部の方々には大好評いただいております。お店にご来店いただいたお客様に読んでますと言われると、とてもうれしいです。これからも頑張って続けて行きますのでよろしくお願いします。今回は、上野の名所が一ツ消えて行く話です。とても寂しい事です。 「聚楽台」と言うレストランを知っていますか?涙を忘れるレストランじゃないですよ!上野の西郷隆盛の銅像のすぐ下にあるレストランです。もう少し、四月二十一日で閉店です。知らない人は知らないけれど、誰もが知っているレストランです。特別に高級なレストランではありません。でも、数知れない思い出が、多くの人に残っているレストランは、他にはないでしょう。私ごときでもあるのですから。 「聚楽台」は、約50年の歴史があります。お店自体は、もっとはるかに長い歴史があります。この建物は、約50年です。お店の作りがいいんです。昔の宴会場の作りです。レトロです。上野駅は、北の玄関口です。故郷を離れて東京に多くの人が出て来ました。いろんな人達が 、ここで食事をしました。何も分からずに出て来た人。一段落して故郷に帰る前に寄った人。成功して故郷に錦を飾る前に寄った人。夢破れて故郷に帰る人。いろんな人が、ここで食事をしました。いろいろ人達の思い出が静かに佇んでいるレストランなのです。私は、埼玉県の大宮の生まれです。今も生家に住んでいます。特別に田舎ではないのですが、この「聚楽台」には思い出があります。幼い頃、両親に連れて来て貰った事があります。私は、もう両親はおりません。母は、三年前、父は、二十七年前に亡くなりました。私には、一ツ年上の兄がおります。私の父は、私達兄弟を一緒に連れて行くのが嫌いでした。家族揃って出掛けた事は、数回しかありません。兄か私か交互に連れて行きました。父は、理由も言っていました。何かあって二人一緒に死なれたら困る。嘘みたいに思う人もいるでしょう。幼い頃に言われていました。本当の事です。私と兄と交互に連れて行かれていたのですが、私の方が出かけたのは多いと思います。駄々をこねましたから。幼い頃、上野も何度か連れて来て貰いました。兄が一緒だったかは覚えておりません。ここ「聚楽台」も連れて来て貰いま した。両親と混んだアメ横を見て回りました。工場が焼けてしまってとインチキの万年筆売りを眺め、当時はあったバナナのたたき売りで大きなバナナを買いました。そして、当時ここの一階にあった舟和で「いもまんじゅうとあんこ玉」を買って貰いました。そして「聚楽台」でお子様ランチを食べました。実は、毎日、上野に来ているのにすっかり忘れていました。何年か前なんです。思い出したのは。思い出してからはお気に入りです。家内も一度連れて来ました。気に入ってくれました。 来週、閉店してしまいます。私は、たいした思い出ではないのでしょうが、とても寂しく感じます。実は、今、その「聚楽台」で食事をしてこれを打ち込んでいます。当然、飲んでいます。先に帰りましたが、隣の席に年配のご夫婦がいました。もう70台でしょう。「ここが無くなるの、悲しいね。」と話ていました。それを聞いて思わず泣いちゃいました。上野の名所が消えて行く。悲しくて寂しい事です。残された時間は、後僅かです。思い出のある方々は、是非、来て下さい。一生後悔しますよ!故郷は、遠きにありて想う物。次回もお楽しみに(^-^)。
 
         

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