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「店長物語その4」

 
       
   

いつもこのコーナーをご覧いただきましてありがとうございます。私の自伝をお話しているのですが、思いの外一部の方に好評なのでそのまま続けて行きたいと思います。常連さんに私が幼稚園の学芸会で、ちょい役をやった時の主役の人はどんな人と聞かれました。みなさんにもお話しましょう。その人ですが、今も友人です。実家も私の自宅のすぐ傍です。彼は成績も優秀で、運動神経も良かったです。今は、ごく普通にサラリーマンをしています。お父さんが、地元では著名な画家で、私の自宅にも三枚あります。私の前年、主役をやった兄も普通にサラリーマンをしています。 私は、大宮私立東小学校に通いました。大宮市は、合併でさいたま市になりました。埼玉県の県庁所在地です。ここで知ったかをします。県名と県庁所在地の地名が一致するところとしないところがあります。なぜって?幕末の時の勝てば官軍と賊軍が末代までも解るようにしたのです。あまりいい話ではありませんが、日清、日露の頃、軍隊は県ごとの変更でした。たまたま偶然ですが、賊軍の地域の軍隊は激戦地に送られました。当然の結果として戦死者は多くなりました。埼玉県の「さいたま市」は、「埼玉市」にはならなかったのです。ヘエー。なんかいい話ではないですね。小学校時代の私ですが、高学年になるまで変わり者だったかも知れません。外で遊ぶのが嫌いでした。服や手が汚れるのが大嫌いでした。自分の記憶で、自分の意思での泥遊びはしたことありません。その変わり野球やサッカーでのスライディングは好きでした。カッコイイと思ってましたから。それから、自分でも理由がよくわからないのですが、小学校の四年の終わり頃から五年の終わり頃までの一年位、ほとんど友達と遊んだ事がなかったです。小学校の図書室で本を読んでいました。昔話や伝記なんか好きでした。推理小説や歴史の本も好きでした。今考えると凄く役にたった一年です。六年生になった頃から外に出るのが大好きになりました。自転車も乗れるようになりました。小学校時代の私ですが、愚図でしたね。デブで運痴でした。兄が小学生の時、健康優良児で大宮市で一位になった事がありました。私は、丸出駄目夫でした。小学校の頃、コンプレックスばかりでした。習い事もしていません。母は、何かやらせたかったのですが、私が愚図で嫌がったのです。何かやっておけば良かったのにと後悔しています。長くなりそうなので続きは次回に!よろしくお願いします。

 
         

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