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「店長物語その11」

 
       
    ここの所、ご来店いただいたお客様、数名の方々からご感想等いただきました。あまりに好評なので本人ビックリw(゜o゜)wです。うれしいですね(*^_^*)。ご質問もいただきますので、それにもお答えして行きます。時計についての話をしない方がいいみたい。なんか笑っちゃいますね! 私の中学生時代の話をもう少しします。今、思い出すと本当に楽しかったです。日々、部活や塾に行ったり、淡い恋心に悩んでみたり。将来の不安なんかまるでなかったですね!あの頃、数十年後の自分が今みたいになっているなんて想像も出来ませんでした。平家物語の書き出しは名文ですね。心からそう思います。でも、あの頃よりも今の自分の方が遥かに幸福です。 私は、6歳です。ずっと生まれた時から同じ土地に住んでいます。私は実は次男坊です。昔だったら私が何処かへ出ていたと思います。中学生の頃には父親から将来何処に住みたいと聞かれていました。「兄を家に残すので、お前は出すから。そのかわりに出せる範囲の中で家は買ってやるから。」と言われていました。中学生だった私が、当時考えたのは春日部市でした。埼玉県内がいいと思っていました。東京へ通勤も考えて私が選んだのは春日部市でした。その数年後に父は亡くなりました。全て変更になってしまいました。凄い事言う父親でした。かなり身勝手でした。今、思い出しても納得いかない点が多々あります。自分の子供に自分の夢を託したかったんですね。当時も今も理解出来ても納得いかない事ってあるんです。 私の父が自分の子供に夢を託したかった。解ります。私の父は、シベリアに抑留されていました。みんな忘れてしまいました。若い人は知りません。悲しい戦争があった事を。私の父は、戦後、シベリアに抑留されていたのです。幼い頃、少し話を聞いた事があります。その頃の私はよく理解は出来ませんでしたが。父は、最後の引き揚げ船で帰って来たと言っていました。食べる物もない悲惨な状況の中、一つの事を夢見て頑張ったそうです。「生きて日本に帰って、生のジャガ芋を腹一杯食べるんだ。」日本に帰る事が出来て夢をかなえた時、こんな物を腹一杯食べたいと夢見ていたのかと思ったそうです。そこまで、ひもじかったのかと心から泣けたと言っていました。そして帰って来れたんだなと思ったそうです。恵まれた環境にいる私達には理解出来ない事です。本当、極限状態だったのですね。その後、ある程度成功して26歳の時に家を買いました。そこに私は住んでいます。父は、自分の夢を兄と私に叶えさせたかったんです。特に兄に期待を掛けていました。 時は流れました。お父さん、お母さん、ごめんなさい。本当、申し訳ありません。そうとしか言えません。でも、これからです。まだまだ、いつかもうすぐ。そう思っています。長くなりましたので次回をお楽しみに!  
         

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