トップページ
   
 
       
 

「店長物語その16」

 
       
    私の高校時代の話を続けます。もう30年も前です。当時の方が、今よりも私立は特徴が有りました。特に男子校はあったと思います。学校によって、大企業の重役や医者の息子の多い学校とかありました。私が入学した明治大学附属中野高等学校は、自営業の息子が多い学校でした。中小の社長や役員の息子、税理士や工務店、整備工場、商店主の息子が多かったです。オーナーの息子が多かったのです。全部が全部の訳ではありませんが、お金持ちの家が多かったと思います。高校に入って、経済感覚が変わりました。それまで、田舎の中学生です。本当、びっくりしましたね。私は、幼い頃から結構裕福な家庭に育ったと思っていました。15才でまるで別世界がある事を知れて良かったと思います。我が家は、外車も別荘もありませんでした。それから私は、明大中野に入らなければ、今ここにいないと思います。その話は、別にします。 私が、高校に入って別世界を感じた話をします。今から30年も前です。流石に当時、家にフェラーリやアストンマーチンが家にある友人はいませんでした。でも、ロールスロイスやベンツ、ジャガー、キャデラックがある家はありました。私は、高校に入って写真部に入部しました。当時、まだ、プロのカメラマンになる夢がありました。写真部ですが、附属の中学生も一緒でした。高校三年生から中学一年生までいました。みんなカメラが凄いんです。流石に高校生や中学生です。ライカやハッセルブラッドは持っていません。でも、ニコンやキャノン、ミノルタ、ペンタックス、オリンパスを使っているのです。中学生でも、当時で10万円から20万円位のカメラ使っているんですよ!私は、「キャノンAE−1」を使っていました。交換レンズを付けて10万円位でした。父に買ってもらいました。写真部ですが、結構と言うか、かなりお金が掛かりました。当時は白黒写真がメインです。フィルムや印画紙は自分で買います。月に一回撮影会がありました。鎌倉や長津田こどもの国、ユネスコ村なんか行きました。夏休みには一週間、奈良に撮影旅行に行きました。学園祭用に八ミリ映画も撮影していました。あまりにお金が掛かるので、夏休み空けに退部してしまいました。もう30年以上も前の話ですが、今の私よりもお小遣をはるかに使ってたと思います。お父さん、お母さん
ありがとうございました。そう言うしかないですね!別荘がある家は何人かいました。私は高校二年の夏休みに、伊豆の宇佐美に連れて行って貰た事があります。後、とんでもない話を聞いた事がありました。明大中野ですが、かなり遠方から来ている生徒もいました。九州や北海道もいました。友人が地方から来ている友人の実家に旅行に行きました。凄い立派な家だったそうです。玄関に絵が飾ってあったそうです。なんか見た事のあるふいんきの絵だったそうです。この絵なに?「あ、これ!ピカソだよ!」そんな返事が帰って来たそうです。一般的な事でもあります。大相撲の砂被りの席があります。幼い頃、父が取引先の招待で行った事がありました。物凄く喜んで帰って来ました。父が言っていました。あの席はお金を払って座っては駄目なんだ。招待で行かないと駄目なんだと言っていました。招待で行くのがステイタスなんですね。高校入ってびっくりです。普通に行くのがいるんですよね。上を見たらキリがない。高校生の頃、いい経験出来ましたね。 その頃の経験が今の趣味にあると思います。しばらく高校時代の話を続けます。次回をお楽しみに!
 
         

Marubishi shokai co.ltd